著書(生きがいを持てる人生メニュー)より
たった一度の人生、たしかな生きがいを持って自分らしく生きたい。そう思いませんか。私はいつも思うのです。でも、振り返ればいつも自信がもてなかった・・・・。
それでもね、6才までは自分の人生が薔薇色に輝いていた記憶があるんですよ。
幼稚園の庭を自分の領地の様に思い、自分は一匹オオカミどころか、どこかの王様と勘違いしていた頃、私は幼稚園で一番の大声を出せ、大縄跳びも鉄棒も鬼ごっこも得意で、男の子たちからも恐れられていた。世の中に不可能はないと思い込み、新しい遊びに果敢に挑戦したあの頃。そんな時代が人生の初期にもてただけでも、親の愛情のおかげだろうと感謝しているんです。 (母の愛情表現がオーバーすぎて、恥ずかしかったこともしばしば・・・・)
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その後、何を誤ったか、カトリック系のしつけが厳しい女子高で、小学校から大学までの16年間も生き抜くことになり、ところてんみたいに、ストンと押し出された時、歳すでに二十二。その十六年間は、私の大声も、場違いなおもいつくままの突拍子のない言動も評価されず、学校ではまるでふるいませんでした。私の心は「こんなはずじゃない・・・・」という不満でいっぱい。
国語の時間などは、意見はいっぱいあるから「はい、はい」と発表するけど、テストはまるでダメ。 正しい答えは一つ、という世界は私には向かないのだと思う。なんか自分は「変わってる」って思われているみたい。自分を押し殺していた時期もあるけれど、それじゃ生きていけないって思った。みんなに合わせても面白くない。いや、合わせようとしたって浮いちゃってるのは自分でも分かる。なにより自分の存在価値が学校で認められない疎外感と孤独の苦しみ。いつも心の中には「こんなはずじゃない。自分には何かができるはず」と、自分に対して怒っているもう一人の自分がいました。もしあなたが、ある程度人間関係でも苦労されているなら、あの頃の私の気持ち、分かっていただけるのではないかしら。
高校時代、私はあるボランティアグル―プに出会い、色々な高校の生徒と、知的障がいをもつ子ども達の施設で週末を過ごすようになりました。男子と活動するのはなんと幼稚園時代以来! 出会いの予感に胸をときめかせながら、おそるおそる入っていった輪に次第に慣れてくると眩しい世界が広がりました。ボランティア活動って人と喜びを分かち合い、自分の価値を再発見し、「まんざらでもないじゃん、自分!」とか、「うれしいなぁ」とか、心から思えるものなのです。ボランテイアや福祉の活動をしている人たちの共通点は「さわやか」であること。
自分の欲求が「自分の幸せ」だけに集約されていない人、常に自分以外の人の幸せに関心がある人はさわやかなんです。同じような目的をもって活動する人たちは、率直に意見を言い合い、活動をさらに意味あるものにしていけます。まるで私は果敢だった幼稚園時代に回帰したかのように自由へと解き放たれたのです。仲間にも受け入れられ「ありのままの自分でもいい」と思えたのです。そして今、そのような経験こそ、すべての人の救いだと確信しているのです。やはり人間は、人と人との関わり合いの中でこそ心からの幸せを感じるものなのでしょう。 「助け合いたい」「支え合いたい」というのが人の自然な姿なのでしょう。
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